元参議院議員 田中しげる

しげるレポート | 田中しげるの活動報告ブログ

日本のあるべき姿 – パートⅠ
レポート 2018/02/08

2019年の今上天皇の退位と新天皇の即位。消費税10%への引上げ。2020年8月の東京オリンピックの開催。日本は大きな節目というか、ターニングポイントを迎えているといえるでしょう。
しかし、それにもかかわらず、国民の心を奮い立たせ、ひとつにまとめるような、日本のあるべき姿、未来像が、日本のトップから国民に向かって発信されていないのが残念です。

<広がりつつある貧富の差>

今の日本にとって、経済をいかに動かすかは大きな問題です。労働力不足、非正規雇用問題など日本の将来に関わる問題が山積しています。企業は利益を上げていますが、それが従業員の給与に大きく反映されることはなく、実質所得が目減りしています。厚生労働省は1月26日、2018年度の公的年金の支給額を下げずに据え置くことを決めました。理由は物価が上がる一方、現役世代の賃金が下がっているためとのことでした。
日本銀行による異次元の金融緩和やGPIFの運用などの「官制相場」で株価は上がっていますが、その恩恵を受けない国民が大多数であることも事実です。また日銀による株の買い支えの反動がやがてくることも考えられます。いつまで続けるのか、金融緩和の着地点も見えません。
さらに、社会全体の中で貧富の差が大きくなりつつあります。昨年12月、広島県が発表した「子供の生活に関する実態調査」では、小学5年生と中学2年生のいる世帯では、4人に1人が「生活困難層」であるとしています。これは、(1)年収300万円以下の低所得、(2)公共料金や家賃などのライフラインの支払いが行えなかったなどの「家計の逼迫」、(3)お小遣いを渡す、毎年新しい洋服を買うなどの「子供の体験や所有物の欠如」の3要素に分類し、そのうちの2要素以上が該当すれば「生活困窮層」、1要素が該当すれば「周辺層」、両方を合わせて「生活困難層」であると定義されています。この深刻な状況の中で来年は消費税の10%への引上げがやってきます。

日本人は、かつて「1億総中流」といわれた時代の意識をいまだに持っているといわれますが、現実はかなり違ってきているように思われます。このような貧富の差はこれまでの日本人の精神、とりわけ和を尊ぶ穏やかな精神を変質させかねない面を持っています。

<莫大な借金の行く末は?>

日本が毎年赤字予算を組み、借金が増え続けていることはご存知でしょう。財務省によれば昨年9月末の額は1,080兆4,405億円ということです。国民一人当たりにすると852万円ということになります。
バブル景気の崩壊以降、時の政府は景気がよくなれば返せると、借金に依存した予算編成を続けてきました。しかし、現実には景気が回復することはなく、借金を繰り返しています。2018年度予算も33兆円(全体の3割超)を超える借金に依存しています。それでも日本が破産しないのは、外国に頼ることなくそのほとんどを最終的には国民から借りているからといえます。
これだけの借金を抱えながら、どのように返済していくかの工程表を作り、発表しようとしないのは無責任というか、あきれるばかりです。この状態をいつまで続けるのでしょうか、いやいつまで続けられると思っているのでしょうか。

中曽根総理は総理在任中(1982年~1987年)予算の抑制を行い、赤字国債に頼らない予算編成を組み続けました。もちろん時代は違いますが、その結果、赤字国債に頼らない予算編成を組むことができたのです。
しかし、バブルの崩壊と共に予算編成は赤字国債に頼らなければ組み立てられなくなりました。それも景気回復のために公共事業に予算を多く配分する失敗を繰り返しました。公共事業関係の業者だけが豊かになり、景気は浮揚せず国民が恩恵を蒙ることはありませんでした。
中曽根政権時代の予算編成の取り組み方を見れば、リーダーの強い意志と指導力によって変化を生むことは決して不可能ではないと思います。

<科学立国の現状>

2020年のオリンピックの宴が終わったあとの日本はどうなっているのでしょうか。1960年代と同じように大阪市は2025年の万国博覧会の誘致に手を挙げています。2027年にはリニア中央新幹線が品川―名古屋間を走る予定で、区間を40分で結びます。いずれは大阪まで伸び、約1時間で東京と大阪が結ばれることになります。東西の交流はさらに盛んになるでしょう。仮に大阪万博が決まったとして、1970年当時のような賑わいは再現されるのでしょうか。

科学技術の世界は日進月歩どころか分進時歩とでもいうべきスピードで進歩を続けています。とりわけコンピュータと医学領域の進歩は、これまでの概念を大きく変えようとしています。SFの世界の出来事が現実になりつつあり、いよいよAI(人工知能)が人間を支配するような世界が来るかもしれないのです。また再生医療やアンチエイジングの進歩も目をみはるものがあります。人生120年はおろか、150年、200年の時代すらやってくるといわれています。
ところが、医学分野で世界をリードすべきips細胞の研究費はアメリカの10分の1に過ぎず、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授は、自らが所長を務める京都大学ips細胞研究所の職員の9割が非正規雇用であると述べています。研究所の研究費を捻出するために、山中教授が一般からの寄付を募っていることはよく知られるところです。

日本の進むべき道の一つに科学立国がありますが、そうであるならips細胞関係を始め、世界をリードする研究分野の予算を増やすことは当然のことだと思います。しかし現実はそうでもないようなのです。日本の科学研究はこの10年で失速し、科学分野でのわが国の地位は低下の一途をたどっています。日本の将来を考えれば、国家戦略として官民あげて科学分野のV字回復を図る必要があります。

<原子力発電の今後>

「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」は1月10日に「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」の骨子を発表しました。それによれば、国内の原発を即時廃止し、2050年までに太陽光や風力などの自然エネルギーに前面転換することを目標としています。
このような提案こそ本来なら政府がすべきではないでしょうか。原発の事故より7年が過ぎようとしているにもかかわらず、破壊された原子炉には手がつけられないままの状態が続いています。多重防護で安心だと喧伝してきた原子力発電所があのような事故を起こし、故郷(アイデンティティー)を失う人まで出たのです。国民の安全を守らなければいけない国家の義務を遂行出来なかった責任は重いといえます。
どれだけ国が安全だといっても、安全に」絶対がない以上事故が起きる可能性が付いて回ります。同じ過ちを繰り返さないためには、原発に頼らないエネルギー政策に移行することが結局は望ましいのです。
根本的な問題もあります。発電を再開すれば増え続ける放射性廃棄物の処理をどうするのでしょうか。廃棄物を置く場所にすら困っている状態です。処理方法に関しては依然として未来に任されたままです。この無責任さは、未来の人々に対する現代人の犯罪行為とすらいえます。

原子力発電ありきではなく、代替エネルギー、たとえばメタンハイドレートの燃料化の技術をさらに推進するなど、日本のエネルギー構造を大きく変える政策を提案し、国民の理解を得るべきだと考えます。とりわけ原子力発電に関しては、「可能な限り少なくする」というような曖昧な表現ではなく、具体的な数字目標を挙げ、今後のあり方を提示すべきだと思います。

<憲法改正の本質>

1月から開かれている通常国会では憲法改正が議論されています。
安倍首相が提案する自衛隊の憲法への明記です。安倍首相の主張は、戦力不保持などを定めた9条2項を維持し、3項を新たに設けそこに自衛隊を明記すべきだというものです。しかし、これでは理論的に2項との整合性を欠き、こんなことのために国民投票を実施するのかという話になりかねません。自民党内には2項を削除して、自衛隊の性格や目的を明確にすべきだという意見もありますが、党内の態勢は安倍首相の主張支持に傾いているようです。
しかし、自衛隊を明記するだけのための憲法改正とは一体何なのでしょうか。
そもそも憲法改正は戦後、戦勝国より与えられた日本国憲法を、その前文から国民の手で変え、国民による国民のための憲法を作ることではないのでしょうか。

かつて私は以下のように書いたことがあります。
「そもそも米国主導によって制定された憲法を一度も改正してこなかったことは、私たち日本人が戦後、この国の在り方、理念、自分たちの価値観などに関して真剣に考える機会が一度もなかったということに他なりません。国に対して自分自身が何を考え、どのような方向に進めば幸せになるのかという自問もせず、自分たちが幸せになる権利を放棄し、一度たりとも振り返ってこなかったということです。これでは幸せになるどころか、自分という存在の意義まで見失ってしまうでしょう。(中略) これから改正する憲法は、西欧発の近代的理念と日本の伝統文化を調和させた、次代にふさわしい内容にしなければいけません。次代を担う若者が卑屈な精神の呪縛から解き放たれ、夢と希望を持ち、豊かな国際性を育めるような内容が望まれます。」

<見直されるべき日本型経営>

非正規雇用の問題が国民生活に暗い影を落としています。ある意味では経営者にとって都合のいいこの雇用形態は、国のあり方の根源にまで影響を与え始めています。

中曽根元総理は1998年に著した『日本人に言っておきたいこと』(PHP研究所)の中で次のように記しています。
「今、経済危機になって、首切りだ、肩たたきだとかいろいろいわれている。これは経営上の方便として当然実行されるべきものだろう。しかし、会社をつくる根本的な精神は維持されていくと私は思う。その根本的なものが日本は、アメリカやイギリスとは違うのである。民族性の長所を善用するところに、その国が他国に勝てるものが現出するのである。(中略)
日本の企業においては、やはり日本的な特色が不況中の現在でも、顕在的に、または潜在的に厳然としてある。これを守っていくことが日本人の幸せであり、結果、世界にものを言える立場になるということを、私は強調したい。そうした考えがないがしろにされつつある世の中は、やはり間違っている。経済が危機に陥ると、市場原理や利益重視の経営が広がり、それで一時的には企業は命拾いをするだろう。しかし、いずれは経営的合理主義の中に日本的経営の長所を温存した企業が、最終的勝利者になると私は確信している。なぜならば、根本の精神を維持していくところに、永続的な力が発揮されるからだ。」

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「西部邁氏を偲ぶ」

1月21日、評論家の西部邁さんが亡くなりました。享年78歳でした。報道によれば多摩川に飛び込み、搬送先の病院で死亡。現場には遺書が残されており、警視庁田園調布署は自殺とみて調べているとのことでした。
西部邁さんと松本健一さん(1946~2014年)とは、昔、たまに新宿あたりで飲んでいました。松本健一さんはご存知のように作家、評論家であり『評伝 北一輝』は司馬遼太郎賞や毎日出版文化賞を受賞しました。お二人は保守主義の論客としても有名でした。

お二人と飲んだ時は、西部さんはいつも「もう嫌になるよ」「こんな状況なら死んだほうがましだ」ということから始まり、聞き役は松本さんの時が多かった気がします。

西部さんは、何かに紹介されていましたが、ドイツ実存主義者ヤスパースの「人間は屋根の上に立つ存在」(平衡感覚)のような考え方をお持ちでした。つまり、屋根の上で綱渡りしているような緊張感と平衡感覚を持って生きていく。この平衡感覚は歴史と伝統を学ぶことでしか得られないと。
私はこの平衡感覚(バランス)は、人間が生きる上で極めて重要であり中庸思想の本質部分でもあると思います。

面白い方でした。

衷心よりご冥福をお祈りいたします。

日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える「誇りのもてる国」
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