前参議院議員 田中しげる

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INF条約(中距離核戦力全廃条約)の失効
INF条約(中距離核戦力全廃条約)の失効
2019/08/06

 レーガン米大統領とソビエト連邦のゴルバチョフ共産党書記長の間で、1987年に交わされたINF条約(中距離核戦力全廃条約)が、8月2日をもってその効力を失いました。軍縮や協調の時代が終わり、かつての緊張と対決の冷戦時代に戻るような危惧を感じさせます。
 ことの発端は昨年、2018年の秋にトランプ大統領が、INF条約が機能していないことを理由に、廃止することを示唆したことにあります。そして今年の2月1日には条約の破棄を宣言しました。その理由は二つありました。ひとつはINF条約に反するロシアのミサイル開発です。最新のSSC-8巡航ミサイルについて、条約違反だとトランプ大統領はたびたびクレームを付けてきました。しかし、それが聞き入れられることはなく、ロシアは逆に米国のミサイル迎撃システム「イージスアショア」こそ、条約違反だと反発してきました。
 もうひとつの理由は、中国がこの条約に加わっていないことです。INF条約が締結された1987年当時、中国は今日のような経済大国でも軍事大国でもなく、米国の脅威となってはいませんでした。しかし、ここ何年かの中国の軍事技術の革新は目覚しく、ロケットに関して言えば、月の裏側に無人探査機を着陸させる技術まで持っています。米ロがINF条約を遵守している間に、中国は中距離ミサイルの最大保有国となり、アメリカにとっては脅威の的となっているわけです。その中国が、台湾やグアムの米軍基地を射程に入れたミサイルの配備し、また、米海軍の空母を無力化するミサイルの配備を進めていると言われています。アジアの平和を守る米軍としては、由々しき問題が起きているわけです。INF条約により短・中距離ミサイルの開発から遠ざかっていた間に、ひとり中国はミサイルの開発と実戦配備に邁進していたのです。 
 この中国を封じ込めるためにも、現在のINFとは違う新たな条約をアメリカ、中国、ロシア間で締結しようという考えが背景にあります。それでは困る中国が即座に反対し、アメリカを非難したことは言うまでもありません。トランプ大統領は、新たな中距離ミサイルの開発に着手するとのことですから、かつての軍拡競争の様相を呈してきたと言えます。極めて残念なことです。
INF条約は中距離ミサイルに関する取り決めと考えられていますが、正確には短距離ミサイルと中距離ミサイルを規制するものでした。ここで短距離ミサイルとは最大射程距離が500~1000キロのミサイルで、中距離ミサイルとは最大射程距離が1000~5500キロのものを指します。また、地上から発射されるミサイルに限っていて、戦闘機や艦船、原子力潜水艦から発射されるものは対象になっていませんでした。

 INF条約の締結に至る過程で、中曽根康弘元総理が果たした役割は実に大きなものでした。始まりは1983年にアメリカで開かれたウイリアムズバーグサミットに遡ります。中曽根元総理にとっては初めてのサミットでした。以前にも紹介致しましたが、ここでソ連のSS-20中距離核ミサイルの配備が問題になり、対抗策が論じられました。
 首脳会談の冒頭、中曽根総理は次のように強調しました。
 ─安全保障に関する抑止と均衡に基づいて、米ソ中距離核戦力はグローバルでゼロ・オプションが基本であること、そしてソ連がそれに応じなければ、中距離ミサイルのパーシングⅡを配備するという、西側陣営既定の諸計画は実行すべきである。
 ヨーロッパではSS-20の配備について、ヨーロッパからウラル以東のアジアへの移転はやむを得ないという意見が出始めており、元総理はサミットの前にレーガン大統領に親書を送り、明確な反対の意思表示をすると共に、会議で議題として取り上げるよう提案していました。
 会議では米・日・英と、仏・独・伊・加の意見が分かれました。サミットは経済会議であり、議題にすべきでないことを強調し、パーシングの自国での展開に強く反対したフランスのミッテラン大統領は強硬でした。それを説き伏せたのが中曽根総理でした。そして、サミットとしての声明が出されました。それは、ソ連とINF(中距離核弾頭ミサイル)削減交渉が合意に達しない場合は、83年末までに西ヨーロッパにパーシングⅡを配備するというものでした。
 このサミット以降、INF条約締結に向かって交渉は加速を始め、1987年の締結に至ります。その過程で、中曽根総理がどのように関与したかを示す、極秘文書扱いとなっていたレーガン大統領との書簡が昨年12月、外務省より公開されました。そもそも交渉で米国はグローバルゼロを求めていましたが、ソ連はウラル山脈以東のアジアに関しては、それを認めませんでした。それに対しレーガン大統領は欧州部ゼロ、アジア部で半減という妥協案を作り、1986年2月、ソ連に提示する前に中曽根総理に親書を送り意見を求めました。
「ソ連が即時の全廃を拒み続けるため、米ソが欧州で長射程のINFを全廃し、アジアではSS-20をまず少なくとも50%削減し、その後、最終的にゼロにすることを提案しようと考えている」(2月6日付)
 これに対し中曽根総理は提案の問題点を指摘する親書を送り、再考を促しました。
「この考え方はアジアにおける核問題を独立した問題として惹起し、有効に機能してきた米国の核抑止力の信頼性の政治的安定度が損なわれる可能性が懸念されます」(2月10日付け)。そして外務省は、米国がソ連に対して認めようとしているアジアのSS-20をグローバル枠とし、それをソ連中央部の3基地に限定し、これらの基地群は『欧州部』『アジア部』という区分けをもって呼ばないとしたのです(2月10日付)。
 レーガン大統領が中曽根総理に送った2月22日付の親書では、これまでの方針を変え、欧州とアジアで比例的にINFを削減し、89年末までに全廃する案で交渉に臨むことが書かれ、そして、「この取り組みにおける、あなたの協力とサポートに心から感謝の気持ちを表したい」としたためられていました。
 公開された数多くの親書を読んだ瀬川高央・北海道大学公共政策学研究センター研究員(著作に『米ソ核軍縮交渉と日本外交―INF問題と西側の結束1981-1987』など)は、次のように語っています。
「書簡を通じた中曽根、レーガン両氏の深いやりとりを見ると、このときほど日米首脳が固い信頼関係で結ばれた時期は、後にも先にもなかったのではないかとの感想を抱いた」
 ちなみに、交わされた書簡では様々な政治問題に関する意見交換だけでなく、体調や家族を気遣うなど私的な内容も含まれていました。そしてその書き出しは、常に「親愛なるロン」、「親愛なるヤス」で始まっていました。
*公開された外交文書の内容については、産経新聞の記事を参考にしました。

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