前参議院議員 田中しげる

1957年生まれ、O型の楽天家。

1957年生まれ、O型の楽天家。
血液型の相性があるのかもしれませんが、何故か周りにはA型とO型が多くて不思議です。友人の中井貴一、石黒賢、米田功の各氏は揃ってA型。O型の代表は何といっても中曽根元総理。楽天家なのはO型気質?多分生まれつきの性格です。  

佐賀県武雄温泉でつちかわれた日本の文化を愛するきもち。

佐賀県武雄温泉でつちかわれた日本の文化を愛するきもち。
故郷・武雄での原体験・原風景が、アイデンティティ形成に大きな影響を与えました。それは四季折々の行事への参加や、自然への親しみ、仲間たちとの遊びや語らいといったものです。自分が享受した日本の美しい自然や文化、伝統を守り、次の世代に伝えていかなければいけないという考えは、子供時代の体験からごく自然に生まれたものです。
 

アメリカ留学で学んだ政治学。

アメリカ留学で学んだ政治学。
アメリカでは政治学を学ぶと同時に、政治のダイナミズムを体験しました。勉強では哲学や政治学の分厚い原書を期日までに読むのに苦労しましたが、今思えば楽しい苦労でした。体験して学んだのは大統領選挙の盛り上がりです。一国の未来は政治家によって、つまりは国民の選択によって決まることを強く実感できましたし、羨ましくも思いました。  

捨てきれなかった、政治への志。

捨てきれなかった、政治への志。
大学を卒業して帰国し、広告代理店に勤めました。私が勤めた広告代理店は売り上げを飛躍的に伸ばしていたときで、社長室と営業に所属し短い期間でしたが仕事も充実し仲間にも恵まれました。いろいろなご縁があって中曽根事務所の門を叩くことになりました。
 

25年間の中曽根元総理秘書時代。

25年間の中曽根元総理秘書時代。
秘書として元総理から常に指示されたのは、与えられた仕事にはすぐ取り掛かり、途中経過でもいいから報告しなさい、ということでした。緻密な内容よりスピードが求められました。秘書として自ら心がけたのは、元総理が次に何をするのか、またしたいのか、それを読んで準備し実行するのです。うまくできたかは別として、元総理に同行する際は常に緊張して身構えていました。 総理退任後からの約10年間、年に平均して6~7回、元総理は世界各地で講演や重要な国際会議に出席し、日本からの発信を続けられました。その旅行に随行し、外交のなんたるかをじかに体験し学べたことは、言葉にならないほどの財産となっています。
 

日本に外交力を!秘書時代の経験を活かした活動をスタート。

日本に外交力を!秘書時代の経験を活かした活動をスタート。
秘書時代には元総理が創設した「アジア・太平洋議員フォーラム(APPF)」の運営にスタッフとして関わりました。APPFは参加各国の議員同士の交流を通じて、互いの信頼醸成を図ることを目的としたものであり、年に1回、参加国の持ち回りで総会が開かれています。中曽根事務所退所後もその運営に携わるとともに、自らアジア・太平洋ネットワークフォーラムを立ち上げ、アジア各国とのネットワーク作りと交流を推進してきました。  

政治家の道を決意。

政治家の道を決意。
2010年の参議院選挙比例代表(全国区)に、みんなの党より立候補しました。学生時代からの目標の第一歩を踏み出したわけですが、自分が政治家になってやらなければならないこと、やりたいことが山ほどあるという思いが立候補を決意させました。参議院議員となった今は仕事に追われる日々ですが、立候補時に掲げた「日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える“誇りのもてる国”」を実現できるよう、外交、教育を始め保守本来の改革を進め、皆様のご期待に少しでも答えられるように、と考えております。
 

略歴

1982年12月 米国オマハ市 私立クレイトン大学(Creighton University) 教養学部政治学科卒業
1985年3月 株式会社東急エージェンシー勤務
1993年12月 中曽根康弘秘書
1994年1月 中曽根康弘衆議院議員 公設第一秘書
2003年1月 中曽根康弘衆議院議員 政策秘書
2003年11月 中曽根康弘秘書
2010年7月 参議院選挙(全国区)立候補
2011年11月 アジア太平洋ネットワークフォーラムを設立
2014年4月 参議院議員就任(国土交通委員会、外交防衛委員会、憲法審査会、災害対策特別委員会、【現】法務委員会)
2016年2月 参議院会派「自由民主党」所属

著書

100歳へ! 中曽根康弘「長寿」の秘訣 光文社 (2014/5/24)
 
変えるべき 守るべき 日本の姿 いまの政治がやさしくわかる31のQ&A PHP研究所
 
日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える「誇りのもてる国」
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