前参議院議員 田中しげる

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[会議録]田中茂 憲法審査会(参議院) 2015年5月27日
会議録 2015/05/27

189-参-憲法審査会-3号-2015年05月27日-初版

田中茂君

会長、ありがとうございます。

日本を元気にする会・無所属会、無所属の田中茂です。

今日は、憲法審査会の取り組むべき課題として、日本人のアイデンティティーと日本国憲法における近代憲法の理念をいかに融合させて日本独自の憲法を作るか、この点に関して私の考えを述べさせていただきます。

哲学者の梅原猛氏は、国家はその成立の過程から大きく人工国家と自然国家の二つに分けられると述べております。

人工国家とは、イギリスやフランス、アメリカ、ロシア、中国に見られるように、人間の意思や概念が先行して目的を持ってつくられた国のことであります。

すなわち、独立戦争や革命によって人工的につくられた国であります。

それに対して日本は、革命や独立戦争のような経験をすることなく、自然に国がまとまって成り立ってきました。

もちろん、内乱もあれば戦国時代も経験してきましたが、それでも国は天皇の下にまとまってきた。

縄文、弥生、大和と二千年以上も前から脈々と続く歴史と伝統、文化の上に成り立っている自然国家なのであります。

文化的要素の極めて高い天皇制とともに歩んできた国なのであります。
〔会長退席、会長代理金子洋一君着席〕
日本人は、外から受け入れ、それを長い歴史の中で得た知識や知恵、経験で昇華することを繰り返してきました。

それがある意味で民族の独自性ともなり、ついに今日まで一度もその形を変えようとしてこなかったのであります。

ドラスチックな変化を好まなかったことは、日本の自然や風土などが生み出した日本人の気質が存在しているように考えられます。

同質性の高い民族と、とりわけ聖徳太子が述べた、各自が異なることを認めた上での和の精神が民族のアイデンティティー、精神的よりどころとして形成されているのではないでしょうか。

日本国憲法が西洋の考えを表したものであることは、絶対王制や専制政治から人権や自由を勝ち取ったアメリカ独立宣言とフランス革命の人権宣言が基本となっており、その源流が遠くマグナカルタや権利の章典にあることからも理解できます。

彼らは、革命の中から血を流し、戦うことで自らの権利を権力から勝ち取り、彼らの思想的バックボーンとなるキリスト教とともに近代憲法を築き上げてきたわけであります。

ところが、日本人は、ただ受け入れただけであるにもかかわらず、その憲法を不磨の大典のごとく扱ってきたのはなぜか。

その理由の一つは、この憲法が、日本人がこれまでほとんど考えることのなかった人権や主権、自由などを保障したものだったからであり、もう一つは、三百十万人という尊い命の代償として得たものだったからだと考えております。

自ら積極的に勝ち取ったものではありませんが、広島、長崎の原爆の悲惨さを体験した国民が戦争を望まず、戦争放棄を規定した第九条は何よりも守らなければならないと考えたのは当然の成り行きだったかもしれません。

がしかし、それから七十年も経て、守るためには憲法に指一本触れさせるわけにはいかない、それが現実の世界と適合しなくなった条文ですら変えさせない原動力となり、今日まで続いているわけであります。

さらに、世界情勢、米ソの対立の変化も日本に有利に働いてきました。日本は、戦争放棄の規定を逆手に取って戦後の経済的繁栄を手に入れたのであります。

自衛隊はつくったものの、平和の守りは米軍に任せて、ひたすら経済活動に励んだ結果であります。

よその国の軍隊に任せて守ってきた平和をあたかも自分で守ったかのように錯覚したのか、反戦の美名の下に、都合の悪い批判には耳を傾けることなく、ついには一国平和主義まで生み出してしまった。

湾岸戦争を経験して、日本人は初めて経済力だけでは国際貢献はできないことを知ったのです。

戦争を放棄しているという憲法上の理由は、国際社会の中では通用しなくなっていると思っております。

独立、革命を通じて理想の社会を築こうとした西洋人は、戦わずにそれが得られるとは考えていません。

どこの国も自由は戦って勝ち取るものだと考えています。

日本だけが、戦争をしない国という看板を掲げてさえいれば自由も権利も守られるという妄想の中に七十年近く閉じこもっていたのであります。

誤解がないように言えば、戦争放棄を否定するわけではありません。

戦争のない世界は人類が目指すべき理想の一つであります。

しかし、人類の歴史を振り返れば、まさに暴力と戦争の歴史でありました。

戦争放棄は、世界唯一の国として自己評価するのは勝手ですが、裏を返せば、そんな非現実的なことを言う国は世界でも希有ということです。

戦争放棄を標榜するだけで国が守れるのなら、人類の歴史はもっと違ったものになっていたはずでしょう。
〔会長代理金子洋一君退席、会長着席〕
宗教観でいえば、元来日本人は、西洋人のように絶対神への信仰よりも、神も仏も一緒に祭り、神や仏は山川草木、石なども宿っていると信じられてきました。

季節は移り変わるものであり、同じように人の心も権勢も容姿も移り変わる。

無常観や諦観が生まれ、だからこそ一瞬を永遠に生きるという世界観が生まれ、それが日本人の考え方や生き方、アイデンティティーを形成してきたと考えております。

日本人は受け入れることにたけていました。

受け入れて日本風に昇華して世界へ発信する。

その意味で、受け入れただけで日本流のアレンジを施さなかった日本国憲法は珍しい存在であります。

それだけ戦争体験が大きな傷痕を残したとも言えますが、それを自らの権利として世界に主張し続ける時代はもう終わっているのではないでしょうか。

憲法を改正することは戦争をするという意味ではありません。

非現実的な主張ではなく、現実的に戦争を起こさないことを考えるべきであります。

今申し上げましたように、日本国憲法は西洋の思想や宗教を背景に作られたものであります。

そこには日本人の国家観もアイデンティティーも含まれていません。

そのせいもあり、日本人は日本国憲法を都合よく理解して、義務を果たす努力はせずに権利だけ主張してきた嫌いがあります。

義務を果たさなければ権利は得られない、それが西洋の憲法が生まれた根底にあるわけであります。

勝ち取るということであります。

改めて、日本国憲法に書かれた近代憲法の精神と日本人のアイデンティティーを融合させて日本独自の憲法を作るべきであります。

二十一世紀に日本はどこへ向かおうとしているのか、まずは国家像の土台づくりから始めなければ何も始まりません。

憲法改正は単なる条文の改正や追加であるべきではなく、日本人が初めて自らの義務を果たして将来に残すものとして作り上げることにこそ意味があると、そう思っております。

以上、私の発言とさせていただきます。

日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える「誇りのもてる国」
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