元参議院議員 田中しげる

しげるレポート | 田中しげるの活動報告ブログ

瑞穂(みずほ)の国
レポート 2017/11/22

 新米が美味しい季節となりました。日本は瑞穂の国といわれるように米の国です。瑞穂とは「みずみずしい稲の穂」のことで、瑞穂の国とは「稲の実る国」を意味し、日本の美称です。日本の歴史は米と共にあり、米によって創られた文化を2000年以上にわたり継承してきたといえます。

 私の故郷である九州の佐賀平野は、「佐賀米」を産する日本有数の米どころであり、農耕文化の発祥地でもあります。唐津市の西南部には、現在知られる日本最古の水稲耕作遺跡である菜畑(なばたけ)遺跡があり、紀元前930年の弥生時代早期初頭(従来の縄文時代晩期末)頃のものとされます。
 また佐賀平野の東端に位置する壮大な吉野ヶ里遺跡は、「魏志倭人伝」に記述された卑弥呼の邪馬台国ではないかと、歴史家の間で議論が続いていることは周知の通りです。
 佐賀平野を中心に稲作文化は始まり、人々の定住化が進むことでコミュニティが形成されていきます。そして、その地域で最大のものが吉野ヶ里に形成されたと考えられます。その基にあるのが米でした。

 天皇の私的行事の中でも最も重要とされる「新嘗祭(にいなめさい)」は、その年の稲の収穫を祝い神に捧げ、自らも食し、来るべき年の豊穣を祈願するものです。米は日本人の命を守るものであり、国を豊かにするものでした。新嘗祭は太陽歴が採用された明治以降、毎年11月23日に行われるようになりましたが、戦後はこの日が勤労感謝の日となったことはご存知かと思います。
 天皇陛下が退位し、皇太子殿下が次の天皇を継ぐことが決まりました。政府は2019年4月1日、もしくは5月1日を即位の日と考えているとのことです。皇太子が天皇になって初めて行う新嘗祭を大嘗祭(だいじょうさい)といい、在位中に一度だけの特別な祭りとなります。大嘗祭はその年の7月までに即位すればその年に、また8月以降なら翌年に行うと決められていますので、どちらにせよ新たに即位する天皇は、2019年の11月23日に行うことになります。

 米に象徴される日本の歴史や文化ですが、日本人の食生活においては米の消費量は年々減少しています。農林水産省の発表によりますと、1人が1年あたりに消費した米の量はピーク時の1962年には118kgだったものが、2015年には54.6kgと、半分以下に減ってしまいました。ここ何年かは毎年1kg程度の減少が続いています。
 1962年から2015年の50数年間は、まさに日本の経済が発展し国際化が進んだ時代であり、それはまた西洋の食文化が移入され、食の多様化が促進された時代でもありました。最近では、日本の主食が米から小麦に移りつつあります、実際、国民が使った金額で比較すると米とパンのどちらが主食であるのか、にわかには判断できない状況が続いています。
 小麦から作られる食物には、パン以外にも麺類が挙げられます。ラーメンやうどん、パスタなどはみな小麦から作られますので、これらを含めると小麦が米を凌駕しているといえます。若い人たちがどちらを多く食べているかといえば、明らかに米ではなく小麦の方でしょう。ただし米はほとんど国内産であるのに対し、小麦はそういうわけではありません。
 1日に1度米を食べないと気がすまないという人は、1992年には71.4%でしたが、2014年には53.5%に減っています。ほぼ半分の人が1日に1回米を食べなくても平気ということになります。さらに農林水産省の最近の調査では、1カ月以内に1度も米を食べていない人が全体の6.8%、20代の男性に限ると18.4%に及んだということです。特に若い人たちにとっては、自分で食事の用意をするとなれば、炊飯器があるとはいえやはり米の調理は手間と時間がかかり、敬遠されることが多いのでしょう。
 ところが、米穀安定供給確保支援機構の調べによりますと、2016年度の1人あたりの月間の米消費量が増加に転じたそうです。特に家庭内の消費量は6%増加しました。ただ残念ながら、米の復活と思うのはやや早計のようです。消費量の増加は景気の低迷によるもので、食費を抑えるために米が食べられているということだそうです。実際、米の購入で重視するポイントは74%が価格ということで、銘柄で選ぶわけではなく生活を守るために経済的な米が選ばれているとのことです。

 米の消費量の減少が、日本の文化に与える影響について考えることがあります。文化や伝統の中にはその時代、時代で変化したり、新たに生まれたりするものもあります。たとえば明治維新は日本の歴史にとって大きな変換点でした。それまで禁じられていた西洋の制度や思想、生活習慣などが取り入れられたのです。政治体制が変わっただけでなく、牛肉が食べられたり、散切り頭になったり、服装も洋風にと、国民の生活様式も変わっていきました。すき焼きは明治初年に生まれたものですが、すでに日本を代表する料理になっていて、その伝統が後世に伝えられていくと考えられます。伝統は単に昔のものを守り伝えるだけでなく、新たに創られていくものでもあります。
 明治時代は国民生活に大きな変化がもたらされましたが、それでも食生活の基盤は米にありました。実際、今日のように貿易が盛んであったわけでもなく、主食は米しかなかった時代でもありました。「瑞穂の国」の伝統は、大雑把にいえば米の消費のピークとなった1962年までゆるぎなく、またそれ以降も、時の政府の政策もあり、それほど変わることなく続いてきたのです。

 なぜ米にこだわるのか。それは米が日本人の食生活を守ってきたからだけではなく、日本人のアイデンティティを形成する歴史と文化を生み出した母体ともいえるからです。
 先述したように、米の栽培により定住化が進み、コミュニティが形成されていくようになります。その最大のものが大和朝廷となり、日本の歴史の柱となっていきます。コミュニティでは、豊かな恵みをもたらす太陽や大地、森、風、雷、雨などが崇められ、豊作が祈願され、収穫を感謝する祭りなどが農耕儀礼として伝えられていきます。 そして原始アニミズムや古代神道、仏教などと融合し、日本人独特の宗教観、自然観、人生観などにも深く影響されるに至ります。
 たとえば日本人は季節の移ろいに敏感で、その移ろいを一方では楽しみ、他方でははかなく思い、自らの人生観に反映させてきました。日本人の多くは鴨長明が著した「方丈記」の「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観(仏教的な意味ではなく)を理解する心を持ちます。しかし、西洋人の多くはそのようには考えないようです。実際、日本のような四季の移り変わりがない国も多いのです。また、たとえ日本のように季節の移ろいがあったとしても、日本人ほど自らの人生をそこに投影することはないように感じます。
 ともあれ、季節の移ろいとともに瑞々しい緑色の苗から青々と育ち、田を黄金色に染めて秋に収穫する米の文化が、日本人の生活ばかりでなく、精神の形成にも大きな影響を与えてきたのです。
 しかし、その米に消費減や輸入の自由化という危機が迫りつつあります。それは取りもなおさず、米によって創られた日本の伝統文化存続の危機につながるとも考えられるのです。

日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える「誇りのもてる国」
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