前参議院議員 田中しげる

しげるレポート | 田中しげるの活動報告ブログ

女系天皇と女性宮家
レポート 2019/04/16

 2005年1月、小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」の第1回会議が開かれました。
 当時は天皇を継ぐ皇族が継承順位順に皇太子、秋篠宮、常陸宮、そして三笠宮、三笠宮家の長男の寛仁親王、次男の桂宮の6人しかいませんでした。(ちなみにその後、2012年には寛仁親王が、また2014年には桂宮が相次いで薨去されました)。
 そこで急遽有識者会議が開かれたわけですが、17回の会合を開いた結果、同年の11月に皇位継承について女性天皇及び女系天皇の容認、女性宮家の設立、男女に関わらず第一子の優先を柱とした報告書を提出しました。
 しかし2006年2月に秋篠宮家の紀子妃殿下の懐妊が伝えられ、9月には悠仁親王が誕生しました。天皇を継ぐ男子が生まれ、危機が若干遠のいたことにより、有識者会議の報告書はそのままになってしまい、皇室典範改正の動きも取り止めとなりました。
 その後野田政権下の2012年、①女性宮家創設、②婚姻後は皇族の身分を離れるが、国家公務員として皇室活動を支援する、という2案を提案し6回にわたり12名の有識者に対しヒアリングを行いました。その結果、その2案を主旨とした皇室典範の改正法案が、国会で議論される予定で進められました。しかし、民主党が選挙で大敗を喫し、政権の座から降りることになりご破算になった経緯がありました。

 2000年以上といわれる万世一系の男系天皇の歴史が途絶えることは、天皇制の存在に関わる重大事であります。確かに日本の歴史を見ると、男系天皇が代々天皇の地位を伝えてきました(疑問視する識者もいます)。歴代の天皇の中には、推古天皇や持統天皇など8人10代の女性天皇の名がありますが、いずれも男系天皇の子であり、後を継いだのもみな男系天皇でした。
 現在の内親王はみな男系の血筋であり、明治天皇や大正天皇の血を継ぐ旧宮家の男性と結婚して子を儲けられた場合は、その子は男でも女でも男系になり、男系の天皇の系統が続くことになります。
 現在のように個人の自由が尊重される時代には、そのようなことが可能なのかと疑問を呈する人達も出てきます。また、戦後廃止された旧宮家を復活させると言えば、資金の問題も絡み国民の感情は複雑に交錯するでしょう。しかし、男系継続を考えた場合は一案だと思います。

 国民が天皇制を守ってきたのは、そこに日本の歴史や民族のアイデンティティーを重ね合わせるからでしょう。天皇はまさに日本の象徴なのです。男系であることが望ましいことは、歴史の連続性から見れば当然のことと言えます。それを考えれば女系天皇を認めたり、女性宮家を創設したりすることは、これまでの天皇の歴史を塗り替えてしまうことになります。
 現在考えられている女性宮家では、内親王が結婚した相手は本来の戸籍を捨て皇籍に入ることになります。今上天皇、皇太子、秋篠宮はいずれも民間の女性を妃に迎えました。美智子皇后、雅子皇太子妃殿下、紀子秋篠宮妃殿下は戸籍を失い皇籍に入りました。従って苗字はありません。同じことが起きます。本来なら厳しい身辺調査が行われるはずですが、秋篠宮家の眞子内親王の婚約問題のように、マスコミやネットの標的になるようなことが起こらないとも限りません。そのようなことが起きるとしたら、国民の気持ちは皇室から離れていくことでしょう。これまた違う意味で、皇室の危機となります。
 現在をまだ大丈夫と見るか、緊急時と見るか人様々です。しかし、危機管理を行わなければ、あっという間に危機が訪れることも十分考えられます。日本国憲法の第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。政府はこのことを理解して、国民の総意がどこにあるのかをよく見極め、天皇制の維持に努めるべきでしょう。

 そもそも天皇制とは何か。中曽根康弘元総理は次のように述べています。

~天皇制は世界に類似のない日本独特の制度であるといえよう。天皇制は、アニミズムが濃厚な神道を基礎にし、祭政一致であるが、天皇は神主の統領という性格を強くもっている。そのため長い歴史の中でも、軍刀をもった天皇はほとんど存在しない。神武天皇から景行天皇ぐらいまではもっていたという説もあるが、それはごく初期のことに属するし、歴史的に認識されていまい。
 明治になってプロシア憲法を日本が採用し、プロシア皇帝の真似をして明治天皇以下三代の天皇が軍刀をもたれた。大東亜戦争の敗戦以後は再び元の伝統に立ち返り、日本文化の継承者、庇護者としての姿に戻った。
 軍刀をもたなかったから天皇制は継続し、その代わり軍刀は将軍にもたせた。つまり、権力の二重構造であって、天皇は日本の歴史的伝統的権威を一身に集め、具体的な政治には征夷大将軍を任命したわけである。それによって革命的な内乱による人民の被害は極小化された。
 したがって日本の歴史において権力を望む者たちは、征夷大将軍になる競争をしてきた。藤原道長や足利義満といえども、自分の子どもを天皇にすることはできなかった。また、天皇を廃止するわけにはいかなかった。天皇は神主の頭領であり、神聖であったから武力で倒すことはできなかったのである。
 そういう漠々たる考え方が日本の中に広がり、定着していった。権威は天皇にあり権力は将軍にあるという権威と権力の二重構造は現在も引き継がれており、権威は天皇にあり権力は総理大臣にある〜

日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える「誇りのもてる国」
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