元参議院議員 田中しげる

しげるレポート | 田中しげるの活動報告ブログ

調和の文化
レポート 2019/07/04

 時代は常に新たな文化の創造者であるといえます。
 しかし、現在進められている最先端医療技術(IPS細胞、ミューズ細胞等)、ロボット、人工知能技術の発達は、人間社会そのものを良くも悪くも根底から覆す可能性を秘めており、人間存在の意義そのものが問われかねない厄介な問題を内包しています。人間は何のために生まれ、生きて、死んでいくのか。日本人が2000年来、営々と伝え続けてきた文化や心は、どのような軌跡を描いて変化して行くのでしょうか?

 新天皇の即位を祝う特別参賀が、去る5月4日に行われました。皇居をうめた人の数は14万1130人にのぼりました(宮内庁発表)。暑い中、長い列に並び、ひたすら何時間も待ち続ける人々の姿と万歳三唱の声を聴けば、天皇が特別な存在として、日本人の心の中に生き続けていることを感じずにいられませんでした。

 中曽根康弘元総理はかつて、日本人の精神や心が形成された過程を次のように書いています。
―「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも」という歌があります。天皇は神様であるから雷の上に御殿をお造りになったというわけで、一つの氏族共同体として大和朝廷を中心にした集団が国家生活を続けてきたと思うのです。 非常に楽天的な日本人に、最初に大きな影響を与えた一つは儒教であります。儒教は何故天皇に忠を尽くさなければならないのか、何故親を大事にしなければならないのか、という論理・理屈を教えた。その次に大きな影響を与えたのは仏教です。仏教は日本人の自然主義に対して理想主義を与えた。精進とか努力とか向上ということを教えて、自分の一生と来世を比べてみながら、一つの理想、努力目標を教えた。それは仏教の哲学から慈悲、愛、そういうものを中心に教えられた。これが日本に大きな精神革命を起こした。(鎌倉時代から)室町時代に五山文学、禅が入ってきて、その禅に磨きかけられたものが「もののあわれ」、あるいは「わび」「さび」という幽遠なものを掴む日本人の力ではなかったでしょうか。それが今日の茶の湯になり、生け花になり、能楽になり世界に誇る日本人の精神を象徴しているのであります。

 日本人を語るときに必ず引き合いに出されるのが、聖徳太子が604年に作ったとされる「17条の憲法」です。その1条の最初にあの有名な「以和為貴(和をもって貴しとなす)」があります。
 これについて中曽根元総理は次のように記しています。
―聖徳太子が唱えた「和を以って貴しとなす」は、ただ足して2で割るということではなく、和は理(ことわり)である。つまり和があれば必ず議論ができる、そうなれば事は成るという合理主義だった。ただ妥協することではない。
 中曽根元総理は、調和、バランスが如何に重要であるかということも示唆しています。バランスとは、ただ右でも左でもなく真ん中がいいというのではなく、右側でも左側でも自然の状態に近づく状況のことです。中庸思想にも通ずる調和、バランスを作り出すのは森羅万象、自然界の営み、人間の本質、全てに帰結するものでしょう。
 ちなみに中庸という言葉を初めて用いたのは孔子(紀元前551~紀元前479)と言われます。宋代(960~1279)になって朱子(1130~1200)が『中庸』を四書の一つとしたことで有名になりました。また、ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384~322)も、中庸(ゴールデンミーン)の概念の重要性を書き著しています。孔子は「中庸は徳の至れるものなり」と述べています。つまり生涯学ぶという姿勢を貫き通し、徳を積むことにより初めて、中庸を実践できるのです。
 
 元総理はさらに日本の文化について、次のように述べています。
―現代日本の文化は、東洋の思想であり宗教である儒教および仏教の精神に深く根差しています。儒教の本質は、祖先を敬い礼節を守り責任を持ち恥を知る、道徳律に基づく共同体のなかの潜在的な他者の批判を予測し重視する、社会の秩序と調和(バランス)を維持する、などとともにまた、いわゆる「未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らんや」という孔子の言葉のなかに、その本質を見せる徹底したリアリズムがあるのです。
また、仏教の慈悲心、仏教道徳に基づく利他および自己修練による悟りが、日本人の思想の根底にあり、優れた価値をなしていると考えます。キリスト教文化、回教文化、ヒンズー教文化、あるいはその他の文化にも、同様に基本的にきわめて優れた価値体系があると思います。
 さて、東洋の思想である儒教や仏教は、その農耕的風土体系及びその価値観から求心力の傾向が強く、集団での調和を重視する傾向があるため、組織的に凝固しやすい危険性をはらんでいます。一方、地中海の温和な気候のなかで、開放的なギリシャ文明のなかから生まれた、民主主義およびアカデミズムの思想は個性を尊重し、その社会的機能はむしろ遠心力として働く傾向が強いと考えます。

 元総理はよく道元禅師(1200~1253)の有名な和歌を、色紙に揮毫していました。川端康成が『美しい日本と私』と題して行った、ノーベル文学賞記念講演の中で取り上げた歌でもあります。
 春は花  夏ほととぎす  秋は月  冬雪さえて  すずしかりけり
 揮毫した後に「これは日本を詠ったものであり、すずしかりけりとは、日本が清冽な国であることを言っているのだ」と解説されました。悟りの境地に達すれば、すべてがあるがままに見えるのでしょう。単純なようで決してそうではない日本や日本人の心を詠ったものだということです。
 芸術評論家の栗田勇(1920~)は、『雪月花の心』(1987年祥伝社刊)の中でこの歌を取り上げ、当たり前のことを当たり前として受け取るということ、そこに自然と人間が一体(調和を保つ)になった世界があると述べています。さらに、日本人の文化を考えるうえで、自然が重要であることに触れて、「『雪月花』というシンボルイメージで表される自然というものが、たんなる物質としての雪、月、花ではなく、その背景にある真実の世界を意味し、それに出会うことが日本人の人生の目的であった」と記しています。

 世界は自国第一主義が燎原の火のごとく広がっています。核問題に端を発した米国とイランの対立は、米国の偵察用ドローンがイラン革命防衛隊のミサイルによって撃墜されるなど、一触即発の危機的状態にあります。もっとも危ぶまれることは、トランプ大統領がイラン国民の信条を本当に知っているかという点です。経済的な圧力を加えれば折れると考えていたら、大変な間違いを犯すことになるでしょう。一方でG20の後、板門店を訪れ電撃的に金正恩北朝鮮労働党委員長と非核化に関する会談を行いました。中国との貿易戦争の一時停止措置を含め、選挙戦に突入したトランプ大統領に世界はかき回されそうです。またロシアや中国は独裁政権化を進め、その影響力を他国に広げようとする傍ら、言論自由や民主主義を主張する人々を弾圧しています。
 日本はどうでしょうか。長期政権の緩みかそれとも驕りか、何かにつけ数を背景にした強引な政治的手法が際立ってきています。このような時代に我々がすべきことは何か。

 先述した「以和為貴」の意味を再確認すると同時に、中曽根康弘元総理の考えを、私なりに纏めたものを記しておきたいと思います。

 歴史的に見て、世界中で誕生している文明は多様、多元ですが、その存続の基本は、人は人に対して寛容でなければならないということです。世界各地の人々は、その固有の伝統の上に、他の地域の人々の真摯な思索や倫理体系、独自の美意識についての理解を深める。そして、その共通点によっては連帯感を強め、またその相違点では、相互に刺激し、吸収し、相補完しつつ互いに切磋琢磨していかなければなりません。
 新たな次元へ向けて、世界の産業文明や精神文化に活力を付与していくためには、異種文化間で相互が刺激し、吸収し合い、相互の創造的発展が図られる必要があります。元来、東アジア・西太平洋の地域には調和(バランス)の哲学に深く根ざした、文化の多元的共存の精神と穏やかな民族性が存在し、生活の知恵として節制と妥協を持っています。反覇権、反大国主義の考えが普遍化していて、本来、平和共存の哲学が横溢している地帯でもあります。この地域では各国が独自性を持ち、各々の国情に適合した方法で市場経済を発展させており、これらの独自性が大きな強みと言えるでしょう。

日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える「誇りのもてる国」
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